ロシアのジョストボペインティングは、モスクワ近郊のジョストボ村に伝わる伝統工芸で、主に黒の下地が多く、透明感のある花や鳥や蝶が鮮やかな色で描かれ、ゴールドの縁取りが入っています。全体の中心の明度や彩度を高くし、中心から離れていくに従って明度を下げていく技法が特徴です。トレーの黒い背景に浮かぶ花々は、長い冬をじっと待つ人々の春への憬れや、生きる喜びまでもが伝わってくるようです。ジョストボのルーツは、18世紀末、中国からヨーロッパを経由して伝わった、紙を圧縮させた「マッシェ」と呼ばれる板状のトレーに黒い漆を塗って、油絵具で絵付けしたものが始まりです。1807年にはジョストボ村で最初のトレーの製作所が作られました。製作所では初期にはマッシェに絵付けをしていましたが、すぐにメタルトレーへと移行しました。
ジョストボトレーは、ロシアのニジニタギルやサンクトペテルブルグの美術工芸品の影響を受けました。さらに18世紀後半、ロシアの貴族たちはその当時チッペンデールの技法(白でベースコートした後、オーブンで焼成し、その上に絵の具をかけるという塗り重ねの技法)で描くフローラルペインティングを習得していたフランスに、自分のお抱えの絵師や職人たちを派遣し学ばせました。その技法が伝わると、当時のロシアの生活様式にあった色彩になっていき、より強い作風に変化し、トレーのデザインもいくつかの規則に沿って描かれるようになりました。
1900年代には戦争の影響もあり、トレーの需要も減少しますが、1920年には復興し、ジョストボ村とその周辺のトレー工場が合併、「メタルトレー労働組合」となりました。そして1960年、現在の「ジョストボデコラティブペインティングファクトリー」に改名されました。その芸術性の高さは次第に評価されるようになり、芸術院から優秀なペインターにメダルが授与されました。のちにアメリカ人ペインターに多大な影響を与えたボリス・グラフォフやスラバ・レトコフなども含まれています。1991年ソ連が崩壊、ロシア連邦となり自由に旅行ができるようになると、アメリカ人ペインターとの交流が始まり、その技術は世界各国に広がっていきました。
ブティック社刊 銀座ソレイユ商品カタログより引用