ZHOSTOVO-氾濫する色彩の世界・・・.

当ページでは、ジョストボ作家・渡辺洋子が過去二度にわたり発行した図録のテキストを通して、渡辺洋子の制作コンセプトを公開いたします.


≪氾濫する色彩≫

渡辺洋子ジョストボの世界 2012-2016より

2016年11月28日発行

ある一つの表現の様式を理解する場合、風土、民族、思想、或いは、顔料、モチーフ・・・など、様々な見地からの分析による方法もあろうが、それでは全体に到達することは不可能であろう。

部分の合計は新しい部分を作るに過ぎないのだから。

ZHOSTOVO-ジョストボと称されるロシア圏で派生した絵画の様式がある。近隣諸国との経済的な或いは美術との関連のなかで独自の様式として定着したものである。

それは他の作品同様に様々な比喩の中で語ることは可能である。例えば厳寒の地における“春への憧れ”、例えば“生の躍動”。

しかし冒頭で書いたように、その“例えば”の積み重ねでさえもジョストボ自体へは辿りつけまい。しかし、その果てに到達する極点、置き換えが不可能となる思考の転回点において我々は色彩の氾濫を体験するのである。

画面に描かれた様々なモチーフの、その記号性の喪失がもたらす“色自体”の“氾濫”である。ありきたりな言い方ではあるが、“漆黒の闇から湧き溢れ、視覚を圧倒的な迫力によって支配する色彩の氾濫”の体験である。渡辺氏の作品によって経験する色自体の世界こそが、ジョストボのみが実現可能な世界であり、ジョストボの本質であると感じられるのである。

渡辺氏の作品は、民族性や風土、そしてモチーフといった水脈を丹念に辿りながら、水源-“色自体の世界”へと見る者を誘う。その意味において渡辺氏はジョストボの良き翻訳者とも言えよう。

静かな夜の一時、渡辺氏の作品と向き合いながらジョストボそのものの源流へと思いを馳せてみてはいかがだろうか。

最後に一言付け加えるとすれば、当作品集はある一つの成果の記念としてまとめられたものではなく、渡辺氏のある期間の制作の記録である.狂おしい程にひたむきに描き続けた行為の記録である。

この場を借りて渡辺洋子氏に制作のインスピレーションと情熱を与えられた、偉大なジョストボ作家、Slava Letkov、Misha Lebedev両氏に心からの敬意を捧げたい。


≪湧き溢れる色彩の果てに…≫

渡辺洋子 華麗なるジョストボの世界 より
2011年12月25日発行


いつの時代も、どのような場所においても、流行と伝統とはその対比においてのみ認識され同時に分類される。時間の関数によって語られるものは流行と呼ばれ、それに対して定数的な不変の要素を持ちえたものが伝統的であると呼ばれる。移ろいゆくものと定式化されたもの、その狭間で文化が成立する。そして私たちは、そこで形成された≪様式≫を通して文化を経験するのである。

“Zhostovo-ジョストボ”と呼ばれる18世紀末のロシア圏で派生した絵画の≪様式≫がある。その成り立ちについては本誌15Pの解説をお読みいただきたいが、ここで触れるべき点はその技術的な高さと、様式の美であろう。

 幾重にも、―それは深く、重く、時代を刻んだ時間の如くに―塗り重ねられた色彩、私たちは一度目を閉じざるを得ないほどの圧倒的な威圧感を感じるのである。が、しかし、その直後に色彩の氾濫を経験する。歴史と呼ばれる大地に咲き乱れる花々、大地を覆い尽くす天空を舞う鳥達、それらは極寒の地でのみ開華可能な“夢”であり、“憧れ”でもある。そして同時に、現在への帰還でもある。

 本誌に掲載された作品は、誰もが知るロシアの著名なジョストボ作家、Slava Letkov(スラヴァ・レトコフ)氏のオリジナルであり、そのデザインに基いて東京都在住のジョストボグレードマスター・渡辺洋子氏が制作したものである。

 今、私たちは、そのデザインを通して遠いロシアの大地へと思いを馳せる努力をすべきである。“様式の美”とは、想像の端緒であるにすぎないのだから。

 漆黒の闇から徐々に湧き溢れ、次第に視覚全体を圧倒的な迫力をもって支配するジョストボ。渡辺氏の作品を通して、色彩はもとより、ジョストボ特有のその空間構成の妙を是非お楽しみいただきたいと思うのである。

 また、渡辺洋子氏に制作のインスピレーションを与えられた、偉大なジョストボ作家、Slava Letkov氏に心からの敬意を捧げたい。

この場を借りて渡辺洋子氏に制作のインスピレーションと情熱を与えられた、偉大なジョストボ作家、Slava Letkov、Misha Lebedev両氏に心からの敬意を捧げたい。